今年の11月1日から流通する新紙幣の公開のニュースを見た。
新一万円紙幣、新五千円紙幣、新千円紙幣を
日本銀行金融研究所貨幣博物館で展示公開中とのこと。
(「あれ、新二千円紙幣は??」)
また貨幣博物館のサイトには、9月から来年1月まで
貨幣博物館と北海道小樽の日本銀行旧小樽支店金融資料館で
「あたらしい日本銀行券 〜最新技術ココにあり!〜」と題した
展示も開催するとのこと→詳細は
こちら
紙幣のモデルチェンジはなんと20年ぶり!
「えっ!20年も前だっけ愉吉さんになったの??」
なんて思った方、月日の流れは早いんです。
かく言う私もその一人。。。(歳とったな〜)
新紙幣の表の肖像画は千円札が野口英世
五千円札が樋口一葉。(一万円の福沢諭吉は続投)
裏側の図柄は、全て新しくなるそうだ。
(「あれ、新二千円紙幣は??」)
樋口一葉が登場するのは文学好きとしては嬉しい。
逆に野口英世に恨みはないが、これは残念。
でもバランス考えたら理系もいないとまずい。
で、その野口英世にバトンを渡す夏目漱石について少しだけ。
明治44年(1911)8月15日、和歌山県の
県会議事堂で行った有名な講演『現代日本の開化』
これを初めて読んだのはまだ10年ちょっと前くらい。
読み終えた後、それまで「我輩は猫である」「坊ちゃん」
「こころ」などしか読んだことなかった私の
薄っすらと抱いていた漱石の印象が一変した事を
今でも鮮明に覚えている。
講演を文章にしたものなので随分と読みにくい箇所は
あるが、それでも繰り返し繰り返し読んで理解しようとした。
次第に言わんとしている事が理解できてくると
夏目漱石という人物は100年先の未来を予見できたのか!と
思わせる程の講演内容だった。
本も出ているのでそちらを買って読まれるのをお勧めするが
一応インタネの「
青空文庫」でもファイルをダウンロードして閲覧可能。
『現代日本の開化』
漱石は文明開化とは人間の活力の表れであるとした上で以下のように説明する。
その二通りのうち一つは積極的のもので、一つは消極的のものである。何か月並のような講釈をしてすみませんが、人間活力の発現上積極的と云う言葉を用いますと、勢力の消耗を意味する事になる。またもう一つの方はこれとは反対に勢力の消耗をできるだけ防ごうとする活動なり工夫(くふう)なりだから前のに対して消極的と申したのであります。この二つの互いに喰違って反(そり)の合わないような活動が入り乱れたりコンガラカッたりして開化と云うものが出来上るのであります。
(中略)
要するにただいま申し上げた二つの入り乱れたる経路、すなわちできるだけ労力を節約したいと云う願望から出て来る種々の発明とか器械力とか云う方面と、できるだけ気儘(きまま)に勢力を費したいと云う娯楽の方面、これが経となり緯となり千変万化錯綜(さくそう)して現今のように混乱した開化と云う不可思議な現象ができるのであります。
これをふまえ、日本の文明開化に続く
それで現代の日本の開化は前に述べた一般の開化とどこが違うかと云うのが問題です。もし一言にしてこの問題を決しようとするならば私はこう断じたい、西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的と云うのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾(つぼみ)が破れて花弁が外に向うのを云い、また外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのを指したつもりなのです。もう一口説明しますと、西洋の開化は行雲流水のごとく自然に働いているが、御維新後外国と交渉をつけた以後の日本の開化は大分勝手が違います。
日本の開化は、当時仕方のないことだったが、西洋のそれとは違い、
日本は諸外国から迫られ、「外発的な開化」を余儀なくされてしまった。
これを諸外国に追いつけ追い越せのイケイケの時代に
この講演を成し遂げた漱石は凄すぎる。
引用だけでは分かりにくいので是非、新紙幣が発券される前に
読んで、漱石の偉大さを知るのも良いかもしれない。
現代日本の開化ほか
夏目 漱石
幣ブログ「いろは歌」にトラックパックありがとうございました。
実は俳句ブログのコメントを先にしてしまいました。BLUE HEAVENのコンテンツ中、感心があちこちに飛んでしまうのが、私の散漫なところでして。m(_ _)m
漱石の「草枕」。是非、お読みくださいませ。少し涼しくなった夏の夜に、虫の音を聞きながら、絶賛です。
『文豪さんの筆まめにも、読書家の少年にも頭が下がる』とありました。ホントですねー。
ウチの実家は本屋で私以外(とくに母)は寝る間も惜しんで読書してるほどの本好きで、小さな頃から「本を読みなさい」と言われて育ち、小学4年のときの「坊ちゃん」との出逢いが活字離れには歯止めをかけてくれました。面白かったですねぇ。残念ながら本の虫にはなっていないのですが漱石さんには思い入れがあります。
「草枕」いいですね。ミレーのオフィリアやダヴィンチが出てきたり、茶道をけちょんけちょんにけなしてたり(そのくせ杢兵衛さんの茶碗のお話が出てます)、音楽や絵を好きな人には面白いでしょうし、小説の読み方を女の人と語る部分など、文章を書く人にも面白いのでは?と思います。30才を過ぎて読むほうが良い気がします。芸術というか創作活動はある程度の年齢や経験があったほうが奥ゆきがでるんでしょうね。余談ですがグレン・グールドはこの「草枕」を愛読していたそうです。文豪さんのファンは世界に広がっているのですね。日本語の、というか漱石さんの文体のリズムは英訳されても通じるものなのかしら?
話は戻り、文豪に手紙を書いた松尾少年は中学から高等師範に上がる直前に亡くなった、と新聞にあります。彼が生きていたら坊ちゃんのような先生になっていたかもしれませんし、こゝろの主人公のような恋をしていたかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
迷路のようになってしまった拙HP見て覗いていただき
嬉しいです"^_^"
「草枕」再読してみます!!
@naoさん
きちんと手紙の返事を書いた漱石。
小学生で「こころ」を読み漱石に質問をだした松尾少年。
どちらも今の感覚では考えられませんね。
ちょっと検索かけたら「投書家時代の森鴎外」という
本の中に『「心」を読んだ小学生―松尾寛一宛漱石書簡をめぐって』
という項目があるようです。興味出てきました(^^♪
図書館行こう!
うちも父の影響で本の虫まではなりませんでしたが
本好きにはなりました。本ナシには生活が。。。
本文に「三四郎」の引用も載せようと思ったのですが
くどくなるのでやめました、実は。
(十分くどいか・・・すでに)
「御互は憐れだなあ」と云い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが、ーーーあなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧ない。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない」
いやー、知らないんです。謙遜じゃなくって、ホント、モノを知らないのです。
だから一生懸命吸収しようとしてるんです。
すぐ忘れちゃうけど、そのときスッキリすればいいかな、と。
「投書家時代の森鴎外」気になりますね。面白そうです。
松尾少年のことは「日本人の手紙」(村尾清一さん・著)に書いてあると新聞にあります。
松尾少年、今になってここで脚光を浴びてるなんて思いも寄らないでしょうねぇ。
http://www.isis.ne.jp/top.html
ご存知ですか?なかなか面白いです。
次から次へといろいろ出てきて時間はいくらあっても足りませんね。
キヌガサに『「草枕」変奏曲』upしときました。ご覧あれ。
知らないことを知っている人は「賢なる人」です。
いっぱい生きている間知りたい見たい聞きたい。
「〜したい」という好奇心いつまでも持っていたいです。
松尾少年の記事、読売新聞のキャッシュに残っていましたので
読みました(^^♪
紹介して頂いたサイト凄いですね!!
千冊ですかーーうーーん。やってみたい!!読んでみたい!